ペトリュスの礎を築いた、ルーバ夫人とムエックス一族
いまやポムロールを代表する「シンデレラワイン」として、ボルドー5大シャトーを超える高い評価と人気を獲得しているペトリュス。しかし、ペトリュスが広く世に知れ渡たるようになったのはこの50年ほどのことです。
1889年に行われたパリ万博で、ペトリュスは金賞を受賞しそれなりの評価を獲得していたのですが、まだこの当時このシャトーが世間から注目されることはありませんでした。
1945年、ペトリュスはホテル経営者の妻ルーバの手に渡ります。1949年にはシャトーの全権利を手に入れています。彼女は自ら醸造家としてこのワインを慈しみ、生涯にわたり偉大なワインへと育てあげます。特に1956年にフランス全土を襲った冷害の際、多くのシャトーが葡萄の樹を枯らしてしまい全面的な植え替えを余儀なくされた時、ルーバ夫人は僅かに生き残った葡萄の樹を生かし、接木する方法で畑の再生を試みました。結果的にこの情熱が現在のペトリュスの名声に大きく貢献しています。
夫人によって進化した品質に加え、1945年から独占販売権を取得したムエックス家による効果的なプロモーションでその名は英国、米国の上流階級に知れ渡るようになりました。
ワイン専門誌から「マン・オブ・ザ・イヤー」を送られた偉大な醸造家 クリスチャン・ムエックス
もともとポテンシャルの高い土壌の畑を所有していたペトリュスですが、1962年にムエックス一族がその敷地の半分を購入すると、いよいよペトリュスは真価を発揮するようになります。
ペトリュスの醸造チームのトップとして、醸造学者ジャン・クロード・ベルエをむかえ、ルーバ夫人が守った素晴らしい畑のポテンシャルを引き出すために更なる醸造方法の研究に取り組みました。1970年にはオーナーの次男クリスチャン・ムエックスも醸造チームに加わり、当時革新的だったグリーンハーベストなど新しい手法を次々に取り入れ、ペトリュスの品質向上に邁進します。
2003年にムエックス社を率いてきたジャン・ピエール・ムエックスが亡くなると、シャトー・オーナーは長男のジャン・フランソワ・ムエックスが引き継ぎ、次男クリスチャンが息子のエデュアールとともに、栽培、醸造、マーケティングの責任者として統括するようになります。
紳士的で華やかな印象の強いクリスチャン・ムエックスですが、彼は醸造家としても革新的な試みに果敢にトライする実力者として認められています。実際、2008年にはイギリスのワイン評論誌「デキャンタ」で「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出されました。
PP100点満点を最も多く獲得しているシャトー
ペトリュスが現在のように熱狂的に愛され、ワイン愛好家垂涎のワインとして名をとどろかせるようになったのは、1962年にムエックス一族がシャトーを所有するようになってからのことですが、歴史を遡れば1889年のパリ万博の時に金賞を受賞して以来、常にクオリティの高いワインを造り続けてきました。
現在の高い評価は所有者一族であり、醸造家であるクリスチャン・ムエックスと兄弟の厳密なワイン造り、徹底したこだわりによるところが大きいのですが、そもそも、ペトリュスが所有する畑はポムロールの中でも周囲の畑とは全く異なる土壌をもち、メルローにとってこれ以上ないといえるほど恵まれています。
ワイン評論家としてあまりにも有名なロバート・パーカーによって行われる評価パーカー・ポイントで100点満点を最も多く獲得しているのが、ロマネ・コンティでも5大シャトーでもない、このペトリュスです。
ペトリュスが100点満点を獲得したヴィンテージは、1921年、1929年、1947年、1961年、1989年、1990年、2000年、2009年、2010年と、既にこれだけあるのです。
セカンドワインは造らない
5大シャトーをはじめとしたボルドーワインではセカンドワイン、サードワインとして樹齢の若い葡萄を使って醸造し販売するシャトーが多いのですが、ペトリュスではそういったワインは一切販売していないのも特徴的です。
11.4ヘクタールの畑しかなく、生産本数は年間約4500ケースほど。この本数は、ペトリュスを欲しいと思う人数を圧倒的に超えており、大変入手困難となっています。
ペトリュスと著名人
ペトリュスの歴史は古く、1837年にはその名前が記録の中に見られます。19世紀後半にはパリ万国博覧会で金賞を受賞するなどしてその実力は確かなものでしたが、その名が世界的に響き渡ったたのは1945年にムエックス社が独占販売権を獲得して後のこととなります。
彼らはペトリュスのアメリカ市場への輸出をスタート。さらに、1947年に行われたイギリスのエリザベス女王の挙式にワインを提供し、1953年エリザベス2世の即位式にはペトリュス1ケースを献上しました。
アメリカ市場においては、ニューヨークのレストラン「ル・パヴィヨン」のオーナーであるアンリ・ソールと手を組みワインの拡販に務め、海運王と名を馳せていたオナシスがレストランを訪れた際にペトリュスを飲んでいる姿が話題となり、以降、このワインがステイタス・シンボルとなりセレブリティたちの人気の的となっていきました。
なぜペトリュスは破格に高いのか
ペトリュスはとにかく高価なワインです。勿論「別格の味わいがある」というのが大前提ではありますが、なぜこんなに高価なワインとなっているのか。
ペトリュスが生み出される畑の面積は僅か11ヘクタールほどですが、この畑の土壌は他とは全く異なる構成で成り立っており、これ以上はないくらいメルローにぴったりと合っているのです。そして、この畑に植えられている葡萄の樹は1956年にフランスを襲った冷害の際にも守られ生き抜いた樹をベースに構成されています。これは前オーナーの時代の話ですが、前オーナーから現在のムエックス一族に至るまで、ペトリュスでは樹齢70年になるまで、樹の植え替えをしないで古樹を大切に守っています。
特別な畑で、ゆっくりと成熟し、土壌に根をしっかりと張った葡萄からできたワイン、それは間違いなく特別な味わいのはずです。
しかし、この畑の面積はとても小さく僅か11ヘクタール。さらに、クリスチャン・ムエックスはワインの質を向上させるために、ボルドー地方でいち早くグリーンバーヴェスト(収量を減少させるために未熟な果房を剪定すること)を行いました。これにより味わいが濃縮されたことは言うまでもありませんが、結果的には更にワインの生産本数が少なくなってしまいました。
そこにきて、ロバート・パーカーを始めとしたワイン評論家たちのスバ抜けた高評価。
これらの要素が全てあわさり、結果として、ロバート・パーカーが自著のなかで「ペトリュスはワインというより神話の象徴なのだ」と述べるほど、高価なだけでなく、現実に目にするのが難しい存在となっているのです。
ペトリュスとは
11.4ヘクタールのペトリュスの畑はポムロールの東部、最も海抜の高いところに位置しています。土壌はほとんど粘土質で構成されており、砂利質だったり、粘土と砂利の混合土壌で構成されている周囲の畑の土壌とは異なるとともに、メルロー種にとっては最適といえる土壌となっています。実際、ペトリュスの畑の95%にメルローが植えられています。
ペトリュスの畑に植えられているメルローの樹齢は非常に高く、おおむね70年を迎えるまで植え替えられることがありません。
基本的にペトリュスを醸造する際にはメルローを使用しますが、ヴィンテージによっては少量のカベルネ・フランがブレンドされることもあります。
収穫時期を迎えると収穫は全て手作業で午後になってから行われます。これは夜露が全て蒸発してから収穫するために行われていることです。せっかく熟した葡萄が余計な水分によって薄められることがないように配慮されているのです。
収穫された葡萄はセメント桶で醗酵したのち、100%新樽で22〜28ヶ月間熟成され、いっさいフィルターをかけずに瓶詰めされます。
ペトリュスは尋常でないほど濃厚で、力強く、濃縮感があります。チョコレートやトリュフ、オリエンタルなスパイス、そして、大変熟した黒果実のクリーミーな香りが特徴的です。
大変骨格のしっかりとした力強いワインですから、一般的には少なくとも10年は寝かせてから飲みたいワインです。
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